総務省が今月14日に、昨年10月時点での人口推計を発表した。外国人の流入によって、総人口は55万人減で踏みとどまったものの、日本人だけに関して言えば、89万人の減少となったことがあちらこちらで大きなニュースになった。
よしよし、だけど外国人の流入が余計だな、それがなければ100万人以上の減少を実現できたのに・・・などと、私は世間様とはまったく逆のことを考える。タイトルに「順調」とは書いたものの、まだまだ少子化のペースは遅すぎる。
至って単純な話である。適正人口は、日本の国土で何人を養うことが出来るのか、と考えなければならない。輸入と地下資源の採掘がなければ維持できない人口は過剰なのである。試算をすれば、いろいろな人がいろいろなことを言って、どの数字が正しいのか分からないようなことになるだろうが、この国土が今の人口=1億2千万を支えることが出来ると考える人は絶対にいないはずだ。日本の人口、少子化の危機どころか、過剰である。
以前から、私は日本の適正人口を3000万人だと言っている。それが、江戸時代後半の人口だからだ。しかも、大昔から増え続けていた人口が、江戸時代半ばに頭打ちになった。このことは、日本の国土で養える人口の限界に達したことを示している。
この私にとってはごく当たり前の頭の使い方を、世の中ではまったくしようとしない。だから、今の社会構造を基準に、少子化で困った困ったと頭を抱えることになるのである。とは言え、私も問題に気付いていないわけではない。それで、『実用「哲学する」入門』に、「遅すぎる少子化」という文章(基本的に2023年4月12日河北新報掲載の拙文)を採録する際、前書きとして、「少子化の問題には、人口そのものに関することと、年齢構成のバランスに関することという二つの側面があるのだが、今回は制限字数の関係で、前者しか問題にすることが出来なかった」と断りを入れた。
しかし、実際には、年齢構成のバランスに関しては、おそらくその後も書いたことがない。そこで、今日は少しだけその点に触れておこうと思う。
まず第一に言えることは、人口を減らすことは生存に関わる絶対的課題なので、年齢構成のバランスが崩れるのが困るからといって、少子化にブレーキをかけようとすることは許されない、ということである。年齢構成のバランスが崩れることによって生じる問題がいくらたくさんあったとしても、それは出たとこ勝負で解決させるなり、あきらめるなりするしかない。
次に言えることは、定年制などというものを廃止し、働ける限りは働くようにすべきだ、ということである。年齢構成のバランスが崩れることによって困るのは、介護もさることながら、労働人口の減少であろう。65歳で「定年」と称して仕事を奪い、年金などというものを給付しようというから、高齢層の増加が困るのである。定年を廃止し、体の動く限り働かせ、出来る限り年金も出し惜しみをする。そうすれば、労働人口が増えるだけでなく、健康年齢が長くなり、長く介護・療養の生活を送る人も減り、比較的ぽっくり死ねるようになるのではないか?人は必ず老化する。40歳の人と、70歳の人は、出来ることが自ずから違う。高齢者にどのような仕事を振り分けていくのか、給与をいくらにするのかは難しい判断が必要になるのかもしれない。しかし、現場の判断と、横断的に人材を斡旋し合えるような調整機関を作ることで、何とかなるのではないかという気がする。
3月29日の朝日新聞土曜版beの「フロントランナー」欄は、「おばあちゃん」という芸名のお笑い芸人を取り上げていた。還暦を過ぎると時間が出来たのに、何をしようとしても年齢制限で断られる。ようやく見付けたのが吉本興業が経営している芸能学校だった。1年間勉強して72歳でプロデビュー。オーディションを勝ち抜いてレギュラーの座もつかんだ。努力・能力と運のおかげで「おばあちゃん」は成功したが、同じ年齢でも、年齢制限で繰り返し断られることによって意欲を失い、自分に見切りを付けて、年金を受け取りながらぼんやりと生活している人は多いだろう。「老人」は社会的に作られるのである。
私だって、今仕事を辞めたら、採ってくれる場所がありそうな気はしない。その仕事も、今年を入れてあと3年で切られる。短期記憶はかなり衰えているが、それ以外は特に老化の自覚はない。それで無職になって、「高齢者が負担だ」と言われるのは甚だ不本意だ。
私は、人間と他の動物との間に違いを認めていない。生きているうちは自分が食べるものを自分で手に入れ、それが出来なくなったら死ぬ。人間も本来はそんなものであり、それを離れて特別な存在などではない、と思っている。もちろん、そんなことを言えば、冷たいとか、弱者の切り捨てだ、と非難されるかもしれない。だが、「自然」とはそのようなものであり、人間も自然の一部であるという自覚さえあれば、それを受け入れることは出来るはずである。苦しみも悲しみも増えるのは仕方がない。人間を動物本来の姿から引き離すような社会制度の方が間違いなのだ。
というわけで、少子化の進行は、日本の未来に明るい光をもたらすものではあっても、問題などではない。全ての人を生涯現役としながら、人口3000万人を実現させなければ、それよりもはるかに大きな問題が降りかかってくるのである。