週末はとても忙しい。アッという間に2日間が終わろうとしている。
昨日は、午前中は教職員組合の会議に出、午後は仙台フィルの第372回定期演奏会に行き、夜は石巻で人と酒を飲んでいた。
仙台フィル、昨日のプログラムは、まずショパンのピアノ協奏曲第2番、そしてブルックナーの交響曲第9番。指揮は高関健、ピアノはイム・ユンチャン。
イムは、まだ20歳になったばかりの青年である。おととしのヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール(←15年前に辻井伸行が優勝したやつ)に史上最年少で優勝した上、聴衆賞、最優秀新曲演奏賞を受賞したという天才である。
なに、いくらコンクールで優勝したとは言っても、しょせんは20歳、まだまだ青二才だ、などとは言っていられない。とても上手。技術的な不安がなく、音がきれいで、繊細だ。この人がブラームスやプロコフィエフを弾いたらどうなるのか?というのは興味の持たれるところであるが、もしかするとショパンだからということで、あえて手弱女(たおやめ)ぶりの演奏をしていたのかもしれない。アンコールは、当然ショパンだと思っていたら、意表を突いてエルガーの「愛の挨拶」だった。なんともおしゃれ。
驚いたことに、協奏曲が終わった瞬間に、50人くらいの人が立ち上がって熱烈な拍手を始めた。素晴らしい演奏であれば、スタンディングオベーションがあるのはおかしくないのだが、前半の協奏曲では珍しい。
珍しいと言うより、なんだか変だ。そこまで特別な演奏かな?とも思うし、立ち上がった人は、音楽を聴くには条件がいいとは言えない最前列を始めとして前の方に多く、全て女性だ。仙台フィルの演奏会では珍しく、ホワイエで韓国語を耳にすることも多く、開演前のスマホに関する注意も韓国語のアナウンスがあった。えっ!びっくり。もしかして立ち上がった人たちは、韓国からイムを追いかけて来たのではなかろうか?確かに、いわゆる「甘いマスク」で、すらりと長身、それでいてピアノも上手い。アイドル化するのも不思議ではない。それにしても・・・である。今回の来日で何回ピアノを弾くのか知らないけれど、この人たち全てに付いて歩くのかなぁ?日本より遠い国にも行くのかなぁ?私の隣の席の女性は、協奏曲が終わったら帰ってしまったのか、後半は席に戻って来なかった。
さて、後半のブルックナー。言うまでもなく、今年はブルックナーの生誕200年である。ブルックナーの誕生日は9月4日なのだが、なぜか仙台フィルの今年のブルックナーは5月の今回だけ。実は、ブルックナーを「大人の古典」と評価し(→関連記事)、なかなか熱心な愛好者である私も、9番をライブで聴くのは今回が初めてである。未完成(第4楽章がない)ながらも、「人類の至宝」と言ってよいほどの名曲だし、指揮者も高関健だし、いやが上にも期待は高まる。
ところが、これが少し期待外れだった。髙関の指揮で比較的最近聴いたショスタコーヴィチの第10番やドヴォルザークの第6番のような凝縮された感じがない。オーケストラは一生懸命で、音もそれなりに出ているのだが、なぜか少し散漫な感じがした。頭では、「やっぱり名曲だなぁ」と思うのだが、圧倒されるというような感動はなかった。
かつて私は、小泉和裕を「ブルックナー指揮者」だと書いたことがある(→こちら)。私のブルックナー体験で、小泉指揮の第1番、第2番に勝るものはない。それが、演奏機会の多くない初期の作品だからこそ、その演奏から圧倒的な感動を得たというのは驚きである。あぁ、小泉和裕指揮で第9番を聴いてみたかった・・・地下鉄の駅に向かって歩きながらそんなことを考えていた。