音楽

素敵な演奏会と退屈な講演会

昨日は、陸前原ノ町のパトナホールに、昴21弦楽四重奏団+小井土文哉の演奏を聴きに行った。主催者であるゾンタクラブ(「女性と少女のためのより良い世界を築く」ことを目標として活動する団体)に所属する某女医さんからチケットをいただいたのである。 …

ウィンナワルツの幸せ

一昨日は入学式だった。再任用教諭1年目の私は、心機一転、なんと自らの希望によって1年生の正担任である。学科については教頭に一任したところ、機械科となった。過去を振り返ってみれば、1年生の担任というのは、東日本大震災の年に水産高校で担当して…

セロ弾きのゴーシュと音楽

昨日紹介した『宮澤賢治の聴いたクラシック』によると、賢治の弟・清六氏が小学校に入った明治40年ころ、宮澤家には既に蓄音機があったそうである。ただし、両親を始めとして身近な大人たちが義太夫を好んでいたことにより、レコードも全て義太夫関係のも…

宮澤賢治と音楽

今月に入ってから、勤務先の図書館で谷口義明・渡部潤一・畑英利『天文学者とめぐる宮澤賢治の宇宙 イーハトーブから見上げた夜空』(丸善出版、2022年)という本を見つけて読んだ。「銀河鉄道の夜」を始めとして、言うまでもなく、宮澤賢治の作品には天…

マッタンの幸せ

ドタバタと生活していて、更新もできずにいた。この間、先週の金曜日には庭の梅が開花した。水仙の開花にも気付いたが、庭の隅っこの、居間からは見えない水仙で、10輪以上開花していたから、最初の1輪は木曜日以前に開いていたようだ。最初は「ケキョ」…

再びヘルベルト・フォン・カラヤン

もう10年以上前の話になるが、指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤンについての一文を書いた(→こちら)。学生時代以来、外見ばかり磨き上げたような演奏に思えて好きになれなかったが、いろいろな人が彼について書いた文章を読んだりしているうちに、少し見…

凡人の幸せ・・・オシュトリーガ版モツレクのこと

宮城鎮魂の日(東日本大震災記念日)の今日は、家の周りが騒々しくなるだろうと昨日書きつつ、実は朝から家を出て、娘の進学に関する用事で仙台へ行った。用事が済んだ後は、娘と別れて、電力ホールに「3・11祈りのコンサート」というのに行った。東日本…

腹の中で、そして遠回しに・・・

公私取り混ぜ、昼も夜も多忙を極めていて、こんな所に文章を書いているどころではなかった。 その多忙も一段落した週末、まずは仙台フィルの361回定期演奏会に行った。今年度、私がメインイベントに位置づけていたものである。曲目も演奏者も完璧。来年度…

歩いて山響

昨日は「マルホンまきあーとテラス」(石巻市の総合文化施設)に、山形交響楽団の演奏を聴きに行った。もちろん歩いて、である(前回は「歩いて読響」→こちら)。コロナによって芸術・文化が大きなダメージを受けたことを手当てする補助金(旅行支援と同じ発…

ここはドイツの空ではない

年末年始に見た音楽番組の感想を簡単に書いておく。なぜ、今頃になったかというと、録画しておいて、暇のある時にちびちびと見ていたからである。 ここで触れるのは、大晦日に放送された「クラシック名演・名舞台2022」と、元日のウィーンフィル、ニュー…

一柳慧「ピアノ・メディア」!!

だいたい1週間遅れで、録画してあった「クラシック音楽館」を見ている。先週の日曜日は、ブロムシュテッドの最終回だった。シューベルトで一気に若返ったブロムシュテッドは、3番目のプログラムで、ますます元気になっている感じがした。この日のプログラ…

老人をよみがえらせる若者の力

日曜日に録画してあった、ヘルベルト・ブロムシュテッド指揮、N響第1966回定期演奏会の映像を、昨晩、ようやく見ることができた。その前の週にもブロムシュテッドを見て、そのあまりにも老いた姿にショックを受けたことは既に書いた。それでも、おそら…

生き物の哀しさ

2週間前の日曜日、Eテレの「クラシック音楽館」という番組の最後の部分を見たら、次回予告として、ブロムシュテッド指揮のマーラー交響曲第9番を放送するという短い映像が映し出された。 衝撃的だった。そこに映っていたブロムシュテッドは、昨年までとは…

末廣誠と仙台ニューフィル

一昨日、先週の土曜日は、勤務先の高校の文化祭だった。ところが、何しろいまだにコロナ禍である。事前に申請した生徒保護者だけ入場を認めるという「内覧会」方式をとって、公開時間も短く、慰労会の類もなかった。そこで私は、これ幸いと早々に学校を抜け…

歩いて読響・・・小林編

小林研一郎(コバケン)は、私が大学時代(1980年代)、5年にわたって宮城フィル(現仙台フィル)の首席客演指揮者を務めていたこともあって、比較的多く聴く機会があった。今回、少し気になったので調べてみたら、なんと11回も聴いている。今回が1…

歩いて読響・・・角野編

今春に勤務先が変わってから、自転車通勤をしていたのだが、なにしろたった15分。運動量としては少なすぎる。実際、少し体重も増えぎみだったので、1ヶ月ほど前から自転車を止め、せっせと歩いている。と言うわけで、前回は「自転車で都響」(→こちら)だ…

早川純のバンドネオン

遊び歩いているような話ばかりで恐縮である。 日曜日、例によって牧山に走りに行ったら、下山路で比較的親しい某大学教授U先生と会った。U先生は、やはり山道でばったり会ったご婦人3人組と、楽しそうにお話の最中であった。U先生には、先週の日曜日、女…

やっぱり山中惇史!

8月に、私は音楽を聴いた後の余韻ということに触れた(→こちら)。音楽は聴いた後、余韻を楽しむべきものであって、聴いた直後から他の音楽を聴くのは邪道である、というようなことだ。 そんな観点からすれば、「せんくら」は邪道のかたまりである。つまみ…

鈴木優人によるパルティータ

今日から年度の後半に入る。勤務先の高校では、29日に期末考査が終わり、昨日は1日の秋休みが設けられていた。もちろん、休みなのは生徒だけで、教員は勤務日である。部活はやっているし、就職試験や感染症問題で考査を受けられなかった生徒の追考査など…

ベームを「消去」する

娘の文化祭を見に行く以外、特にすることもない1日、DVDレコーダーの中に溜まった録画を少し整理した。消す前にもう一度見ておこうと思い、つまみ食い的に見た番組の中に、先月半ばに録画した「クラシック音楽館・伝説の名演奏」があった。 4分の3がバ…

ライプツィヒのバッハとスマホ

余韻を楽しむ、というのは大切である。音楽を聴いた後でも、映画を見た後でも、小説を読んだ後でも、少しの間は何もしないようにしている。「何も」というのは少し分かりにくいかも知れない。音楽を聴いた後なら、音楽は聴かない、映画を見た後なら、映画は…

西村尚也リサイタル(3)

昨日、2月に転倒して左手が動かなくなったことをきっかけとして施設に入っていた母を退所させ、自宅に戻した。残り幾ばくもない人生、コロナに感染すると困るからという事情だけで、家族にも友人にも会えない状態で隔離しておくのはあまりにもひどい、今な…

西村尚也リサイタル(2)

すごい演奏会だった。会場の小ささもあったのかも知れないが、とにかくバイオリンがよく響く。ピアニストも、かなり乱暴な、というか、力任せに鍵盤を叩く体育会系だったのだが、負けてはいなかった。それでいて、デリカシーに欠けるわけでもない。 冒頭のバ…

西村尚也リサイタル(1)

昨日から夏休みに入った。そしてその初日と2日目、東京に行っていた。西村尚也というバイオリニストのリサイタルを聴くためである。 実は、お父さんがちょっとした知り合いである。2ヶ月ほど前に、そのお父さんからお手紙をもらった。「ドイツ在住の息子が…

ブロムシュテッド!!

(タイトルは変わったが、昨日の続き。) 今回放映された演奏は、どれもすばらしい演奏である。ウィーンフィルは、名人芸にも支えられて正に王者の風格。コロナ禍ということで、わずか35人にメンバーを絞ったルツェルンは、その響きの明晰さと、きびきびと…

佐藤陽子、そしてブロムシュテッド!

今朝の朝刊で、佐藤陽子が死んだことを知った。ヴァイオリニストで声楽家、エッセイストという多才な人だ。おそらく、まだ私が学生だった頃、何という番組だったか憶えていないのだが、テレビをつけるとこの人が映っていた。スタジオでモーツァルトのヴァイ…

山形でブルックナー

昨日から、山形市に行っていた。第1の目的は、山形交響楽団と仙台フィルの合同演奏会である。飯森範親指揮によるブルックナーの交響曲第8番だ。 思えば運のない演奏会である。これは元々、2020年7月に開催される予定だった。ところが、コロナで延期と…

吉田秀和没後10年

5月末から先週まで、朝日新聞で「ことばを奏でる」という連載をしていた。吉田秀和没後10年に当たっての追悼企画である。懐かしいと言うか、面白いと言うか・・・古き良き時代に接するような感慨を持って読んだ。 私が特に面白いと思ったのは、連載第4回…

仙台と野島稔氏

日曜日のクラシック音楽館で、ピアニスト野島稔氏の演奏を少しだけ見た。クリストフ・エッシェンバッハが指揮した最近のN響定期演奏会録画が終わった後、いわば余白の部分で、わずか15分くらいだけ、氏が高校時代にリストの「鬼火」を弾いている白黒映像…

ヴァイオリン伴奏付きピアノソナタ(?)

4月16日に、石田泰尚というヴァイオリニストのリサイタルに行った話は既に書いた(→こちら)。その時のプログラムに、モーツァルトのヴァイオリンソナタ第25番ト長調というのがあった。演奏会が終わってから、そう言えば、モーツァルトのヴァイオリンソ…