2012-01-01から1年間の記事一覧

人間ドック・修学旅行・金本引退

(9月20日付学級通信より・・・私が水曜日に比較的時間を取りやすいものだから、最近はすっかり「木曜プリント」になっています。) 1週間以上も前の話になるが、9月7日、仙台市内の某病院に「人間ドック」というのに行った。この年齢になって、人間ドッ…

仙台のコンサートホール問題

11日の『河北新報』「座標」欄に、仙台フィル参与大沢隆夫氏による、「ホールで更に進化を 楽都・仙台」という文章が載った。多くの豊かな音楽イベントがあり、音楽文化を育てようとしている仙台には、それに見合う立派なホールがない、何とかしなければ、…

今年の山小屋HR

一高山岳部が「山小屋ホームルーム」を主催するというので、この2日間、付き添いで山に行っていた。なんとびっくり!今年は20名の一般生徒が参加し、そのうち9人が女子という大盛況だった。 昨日は、大六天で車を降り、歩いて刈田岳に登り、昼食。素晴ら…

「延安」旅行案内(13)・・・その他の革命旧址

一昨日までに書いた場所しか私は行っていないのだが、手元にある資料を基に、多少の補足をしておこう。 延安市内に旅行会社はたくさんあって、様々なツアーを組んでいる。一日で、王家坪、楊家嶺、棗園などを回る数十元のツアーから、黄帝陵や壺口瀑布(黄河…

好奇心×行動力=∞

(9月13日付学級通信より 続) 【努力する人が主人公】 月曜日に、柔道の地区新人大会で、このクラスのT君が個人優勝した話を紹介し、昨日は栽培漁業類型のNさんが、県の産業教育高校生作文コンクールで優秀賞(県のベスト3)を獲得して全国審査に進む…

タヌキの出る家

(9月13日付学級通信より) 一昨日は、午後から昨年の副担S先生がいる県工業高校に行っていた(S先生には会えなかったけど…)。小会議室で、県内の実業高校生の作文を読みながら、なんだか暑いな〜と思って、エアコンがないことに気付いた。なんだエア…

「延安」旅行案内(12)・・・呉起と志丹

延安から、エドガー・スノーが初めて毛沢東と会った保安(今の志丹)までは約70キロ、中共中央が劉志丹軍と出会って長征を終結させた呉起鎮(今の呉起)までは約130キロである。 呉起や志丹に行くバスは、東関大街の東バスターミナルから出ている(瓦窑…

「延安」旅行案内(11)・・・清涼山または延安メディア

延河大橋のすぐ北側に、清涼山という山がある。ビルの林を抜けて延河のほとりに立てば、どこからでも見える。麓には、山の斜面にへばりつくように、窰洞住居をモチーフにしたデザインの「延安新聞記念館」がある。そのすぐ左側が清涼山の山門だ(7:00〜…

「延安」旅行案内(10)・・・棗園革命旧址

楊家嶺からさらに2キロ西に進むと、棗園革命旧址に至る。途中、右に今の延安大学、左に幹部学院や延安で最も巨大な建物である中国石油のビルを見ることが出来る。1944年から1947年3月まで、中共中央書記処が置かれた。毛沢東、朱徳、周恩来、劉少…

「延安」旅行案内(9)・・・楊家嶺革命旧址

王家坪から楊家嶺は、延河に沿った一本の線の上にあるので、バスは革命記念館へ行く時と同じである。王家坪から楊家嶺までは2キロほどなので、ここも歩いていくことが可能である。 バス停から、すぐ西の道(立派な看板が出ている)を山の方に数百メートル入…

「延安」旅行案内(8)・・・革命記念館と王家坪

延河大橋から延河に沿って北西に1キロ半ほど行くと、延安革命記念館の巨大な(国会議事堂スケール)建物が目に飛び込んでくる。バスだと、1路、3路、8路、12路、13路に乗って、「王家坪」または「王家坪革命記念館」で下りる(これら二つのバス停は…

「延安」旅行案内(7)・・・抗日軍政大学

延安には多くの学校があって、抗日解放戦争を指導する人材を育てていた。先日書いた魯芸もその一つである。しかし、何と言っても、最も有名なのは抗日軍政大学(抗大)と陜北公学(陜公)だろう。自分の専門とは言えないが、少なくとも抗大くらいは訪ねてみ…

「恥」の教え方こそ知りたい

(9月6日付学級通信より・・・8月21日のものは、ここに載せる価値がなかったので、あえて載せなかったが、8月30日のものは、中国にかまけてうっかり飛ばしてしまった。プリントそのものはちゃんと出ている。今日は少し話がネガティブなので、どうしよう…

「延安」旅行案内(6)・・・鳳凰山革命旧址

1937年1月に、共産党指導部が保安から延安に移ってきた時、最初に腰を落ち着けたのが、鳳凰山の東山麓であった。延河大橋から徒歩10分。街の中心から最も近い中共指導部の遺跡である。その名もズバリ中心大街を北に歩いて行くと、左手に「鳳凰山革命…

「延安」旅行案内(5)・・・橋溝の魯迅芸術文学院旧址(後)

橋溝には、1934年に完成した立派なゴシック式の教会がある。スペイン人の神父によって建てられたらしいが、当時の延安にはまったく場違いなものだったと思われる。この教会は、1938年9月に共産党の拡大第6期6中全会の会場として使用された後、魯…

「延安」旅行案内(4)・・・橋溝の魯迅芸術文学院旧址(前)

延安の市内バスは分かりやすい。市街地が山と川に挟まれて帯状に発達しているため、必ずバスはそこに沿って走るからである。街の中心から空港方面へ行く4路、5路、6路といったバスに乗ると、4キロ弱、15分ほどで橋溝の魯迅芸術文学院(魯芸)旧址に着…

「延安」旅行案内(3)・・・宝塔と日本労農学校(後)

労農学校で生活していた日本人は、開校当初こそ十数名であったが、終戦時には350名に達した(ただし、状況が流動的で、人数の確定は難しい)。政治学、経済学、社会学、日本問題、中国語、時事問題等についての学習が行われていた。 捕虜になった当初は、…

「延安」旅行案内(2)・・・宝塔山と日本労農学校(前)

延河大橋から徒歩3分、南川河が延河に流れ入る場所に宝塔橋という橋があって、ここを渡ると、正面に宝塔山の料金所がある。私が5時を過ぎてから行ったためか、この料金所は既に閉まっていた。しかし、ここから北にほんの少し歩いた所に、宝塔山の正式な登…

「延安」旅行案内(1)・・・序と概況

多少なりとも中国の現代史を知る人間にとって、「延安」という町は非常に有名で、しかも一種独特の感慨を催させる響きを持っている。 中国は、外国人の自由旅行を長く許可していなかった。個人旅行が可能になったのは1985年頃ではなかったかと思うが、そ…

いじめは増え続けるさ

大津市での事件をきっかけに、今改めて「いじめ」についての議論がかまびすしい。一昨日だったか、大津市の事件について第三者による検討委員会が発足したという。いじめを今後再発させないためにどうすればよいのか、検証・検討を進めるという。 いじめが何…

携帯電話とタバコ

中国でも携帯電話が普及していることは、既に知っていた。行けば、街には「手機」という携帯電話を意味する中国語が目に付く。大抵は、携帯電話の販売店であるが、「手機維修」と修理屋らしき看板もけっこうあって、これは日本と違う。携帯電話って、そんな…

宮水の夏

宮水の夏休み、7月半ばから1ヶ月間、K先生が品科学類型3年食の生徒2名を連れてアメリカ・ニュージャージー州に、8月半ばにA先生が、JRCの生徒1名を連れてタイへ行っていた。この他に、2年生が1名、1ヶ月間、アメリカ・マサチューセッツ州へ行…

中国革命への誘い(2)

指導者だけではない。中国革命の時期の共産党支配下というのは、「大衆」がその可能性を花開かせた時期でもある。「大衆」というものを、私も今まで冷ややかに描くことが多かったが、そのような大衆の愚かさ、危うさというものは、延安時代の「大衆」には当…

中国革命への誘い(1)

革命聖地・延安は、今年5月から10月まで、「第首届紅色文化旅游季(第1回紅色文化旅行期)」というキャンペーンが行われていることもあってか、多くの中国人旅行客で賑わっていた。しかし、先日書いたとおり、日本人や西洋人旅行者の姿は見られなかった…

尖閣諸島はなぜ、誰のものか?

(8月21日付学級通信より=大幅に改) やれやれ、早くも新学期である。 夏休み中、私は学校を留守にすることが多かったので、副担の杉山先生に「よろしく」と言ったところ、「生徒って、担任がいない時に限って問題起こすんですよね」と言われ、ドキッと…

中国の印象

予告通り、8月5日から17日まで一人で中国に行っていた。実質的には11日間に過ぎないが、今時の高校教員にしては贅沢な時間の使い方が許されたものだと思う。 泊まる場所や列車の切符の心配をしながら旅行するのを、意外なほど面倒に感じた。旅行それ自…

藤野厳九郎記念館・・・その2

『仙台における魯迅の記録』によれば、藤野先生は、1874(明治7)年7月1日に、現在の福井県坂井市下番で医者の家庭に生まれた。愛知医学校(現名古屋大学医学部)を卒業後、多少の紆余曲折を経て、1901(明治34)年10月から、仙台医学専門学…

藤野厳九郎記念館・・・その1

出かける前に、福井で手に入る半日の自由時間に何をするか、例によって(←2月6日記事参照)地図を見ながら、面白そうな場所探しをした。私の目に留まったのは、芦原(あわら)温泉にある「藤野厳九郎記念館」である。この名前を見付けた瞬間、「ああそうだ…

えちぜん鉄道・・・究極の臨時駅の話

29日(日)は、移動日だった。恵那から名古屋までは中央線の快速で1時間強、そこから福井までは特急だと2時間半、合計4時間弱で着いてしまうので、どこへ寄り道をしようかと悩んだ。気が狂うほど暑いというのは予想できたので、これは外をうろうろ歩くよ…

恵那の夜・・・「いい仲間」が最高の肴

NIE(Newspaper in education )の全国大会というものがあって、福井まで行って来た。大会は30〜31日だったのだが、家を出たのは28日(土)である。ちょっとした縁があって、震災後の被災地の様子や教訓を話して欲しいと、岐阜県恵那市大井町町づくり…