2022-01-01から1年間の記事一覧

生き物の哀しさ

2週間前の日曜日、Eテレの「クラシック音楽館」という番組の最後の部分を見たら、次回予告として、ブロムシュテッド指揮のマーラー交響曲第9番を放送するという短い映像が映し出された。 衝撃的だった。そこに映っていたブロムシュテッドは、昨年までとは…

ハロウィーンの事故

韓国の李泰院(イデウォン)で、あまりにも密になりすぎたために、150人を超える人々が死んでから、早くも1週間が経過した。18㎡(3.2m×5.7mの路地)に300人が積み重なるように倒れていたという。特別広いわけでもない我が家に、2500人…

この作品はなぜ「古典」になれたのか?

国語の秋季大会に関する様々な話は抜きにして、古典分科会で私が話したことの中心部分だけを書いておくことにする。(微修正あり。文章体で。) 私にとっては当たり前のことが、人にとっては当たり前でないと感じることがよくある。学校でカリキュラムについ…

山本周五郎と『樅の木は残った』

(今日は文化祭の代休。昨日の続き。) 「樅の木」の足下に、山本周五郎の文学碑がある。字は夫人の手によるものらしい。 「雪はしだいに激しくなり、樅の木の枝が白くなった。空に向かって伸びているその枝々は、いま雪を衣て凜と力づよく、昏れかかる光の…

船岡城址公園

昨日は、宮城県高等学校国語研究秋季大会というものがあって、宮城県の南の方、大河原(おおがわら)町にある大河原商業高校という所に行っていた。学校を一日空けようと思うと、仕事のやりくりが面倒なので、出張にはできるだけ行かないようにしているのだ…

秋の一日に素人の「能」

昨日は、仙台まで素人の「能」の発表会を見に行っていた。例の「上田君」(→こちら)が、「能はつまらん」とぼやく私に、素人の能を見ると、プロの能のすばらしさがよく分かり、能も面白くなりますよ、みたいなことを言うので、誘われるままに行ったのである…

とりあえず復活!ラボ

昨日は、ラボ・トーク・セッション第23回を開催した。なんと、2020年2月以来、約2年半ぶりである(→前回の記事)。 2020年4月に第23回を開催する予定で、講師も決まり、チラシも作って宣伝を始めていた矢先、コロナ対策による全国一斉休校と…

欧米思想に毒された私?

昨日の夕方、暗くなってから帰宅したら、我が家の沖にたくさんの船の灯りが見えていた。漁り火かな、と思ったほどである。今朝、起きてみたら、おそらく2000~4000トンくらいの小型タンカーを中心とする商用船がたくさん停泊している。台風の時など…

新習近平体制について

第20回中国共産党大会が終わった。周知のとおり、習近平がほぼ独裁体制を確立させた。総書記が最も強い力を持つのは当然だが、その最も近くにいて、大きな権限を持つのが政治局常務委員会の6人である。習近平は、それを完全にイエスマンで固めたという。…

いざ箟岳山

Run友のUさんが、県内で行われる某マラソン大会に出ると言う。ならば、夕刻、打ち上げでもしますか、ということになった。私はレースに出ない。参加費を払うのがバカバカしいからである。5000円前後の参加費なんか払わなくても、世の中には走ってい…

国力の低下

円安が止まらない。毎日1円くらいずつ値を下げる。アメリカとの金利の差が主要因とされていたが、ドルに対する価値の低下が、他のどの国の通貨と比べても際立っているらしく、原因は金利だけではない、国力そのものの低下なのだ、ということをほとんど毎日…

志賀直哉の「身勝手」

志賀直哉の「城の崎にて」について2回書く、と書いて、実際に「逆接」「晦渋」と書いたのだが、蛇足ながら3回目を書く。 「城の崎にて」は、総論的な段落の後に、蜂、ねずみ、いもりといった生き物に関する段落を置き、それぞれのなかで生死の問題を少しず…

宗教法人よりも政治家の問題

旧統一教会(面倒なので、以下「旧」省略)についての動きが慌ただしい。支持率の低下に危機感を感じてか、首相は、ついに宗教法人法に基づく調査権を行使し、実態の解明に乗り出すと言い始めた。 おいおい待てよ、と私なんかは思う。世の中の人々(特に政府…

末廣誠と仙台ニューフィル

一昨日、先週の土曜日は、勤務先の高校の文化祭だった。ところが、何しろいまだにコロナ禍である。事前に申請した生徒保護者だけ入場を認めるという「内覧会」方式をとって、公開時間も短く、慰労会の類もなかった。そこで私は、これ幸いと早々に学校を抜け…

志賀直哉の「晦渋」

「城の崎にて」で、私が最も分かりにくいと感じるのは、のどに串を刺されたネズミが逃げ回っているのを見て、死に至るまでの苦しみ、死ぬまで生きるために必死の活動をしなければならないことへの恐怖について語る段落の最後の部分である。 「またそれが今来…

志賀直哉の「逆接」

志賀直哉(1883~1971年)、特に「城の崎にて」について思うところを書く(おそらく2回連載)。「論」というほどのものではない。授業に関わる、いわば実務的なことである。 志賀直哉は決して評価の低い作家ではない。なにより、死後半世紀を経て、…

節エネ策・・・絶対評価を併用せよ

止めればいいのに、付け焼き刃のばらまき政策であるガソリン補助金は、またまた延長らしい。加えて、電気にも何らかの「負担軽減策」を実施するという話が出ている。具体的な内容はまだ明らかでないが、いずれ補助金ということになるだろう。 私は、ガソリン…

歩いて読響・・・小林編

小林研一郎(コバケン)は、私が大学時代(1980年代)、5年にわたって宮城フィル(現仙台フィル)の首席客演指揮者を務めていたこともあって、比較的多く聴く機会があった。今回、少し気になったので調べてみたら、なんと11回も聴いている。今回が1…

歩いて読響・・・角野編

今春に勤務先が変わってから、自転車通勤をしていたのだが、なにしろたった15分。運動量としては少なすぎる。実際、少し体重も増えぎみだったので、1ヶ月ほど前から自転車を止め、せっせと歩いている。と言うわけで、前回は「自転車で都響」(→こちら)だ…

コロナの余波と北泉が岳

北泉が岳(1253m)に行ってきた。本当に久しぶりで、登山の新人大会に補助員として参加したのである。「本当に久しぶりで」というのは、もちろんコロナの余波。 「密」になるからテント泊がダメだ、飲食がダメだということで、高校の登山部も、軒並み活…

只見線の壁

今月の1日、JR只見線が復旧、全線で運転を再開した。小学校時代から「乗り鉄」傾向が強かった私は、一度、この山間を走るローカル線に乗りたいと思いながら、よくは憶えていない様々な事情で、行くことができないままに50年近くが経った。 2011年に…

早川純のバンドネオン

遊び歩いているような話ばかりで恐縮である。 日曜日、例によって牧山に走りに行ったら、下山路で比較的親しい某大学教授U先生と会った。U先生は、やはり山道でばったり会ったご婦人3人組と、楽しそうにお話の最中であった。U先生には、先週の日曜日、女…

やっぱり山中惇史!

8月に、私は音楽を聴いた後の余韻ということに触れた(→こちら)。音楽は聴いた後、余韻を楽しむべきものであって、聴いた直後から他の音楽を聴くのは邪道である、というようなことだ。 そんな観点からすれば、「せんくら」は邪道のかたまりである。つまみ…

鈴木優人によるパルティータ

今日から年度の後半に入る。勤務先の高校では、29日に期末考査が終わり、昨日は1日の秋休みが設けられていた。もちろん、休みなのは生徒だけで、教員は勤務日である。部活はやっているし、就職試験や感染症問題で考査を受けられなかった生徒の追考査など…

「還暦」考(2)

さて、中国語に「還暦」という言葉がないようなので、『日本国語大辞典』(新版)を引いてみた。すると、「還暦」の出典として書かれている最も古い文献は、『音訓新聞字引』(1876年)である。この本は、国立国会図書館の「デジタルコレクション」で実…

「還暦」考(1)

今日は私の誕生日。なんと「還暦」である。紆余曲折ありながらも、なんとかこの歳まで人並みの社会生活ができているのはありがたいと思いつつ、この10年ほど、歳を取るのはなんとなく愉快でない。それに従って心身が衰えるだけでなく、社会的制約も大きく…

「あなたの判断はいつも正しかった」

昨日、安倍元首相の「国葬儀」というものが行われた。4200人が出席したらしい。事前に、欠席連絡が相次いだので、政府は追加の招待状を付け焼き刃的に相当数発送したというような報道がなされていたが、それをもってしても、なお当初の予定より参列者が…

すばらしき日曜日

朝起きたら、素晴らしい秋晴れが広がっていた。あぁ、こういう日は山にでも行きたいなぁ、と思ったのだが、何しろできるだけ石油を使わない生活、である。泉が岳にしても、禿岳にしても、たいていの山は車でしか行けないので、私にとっては対象外である。し…

台風の休校判断

今日は秋分の日。季節の変わり目である。台風14号がやって来る直前だった月曜日はひどく暑く、しかも、風が強くて窓が開けられないものだから、これだったら、35℃でも、窓を全開にできる時の方がまだよかったなぁ、台風が南の気団を運んできたら、もっと…

「国葬儀」の怪

数日前の記事に書かれたコメントに気付いている人などほとんどいないだろう。 9月7日の「国葬に表れたもう一つのゆがみ」という記事について、ある読者の方から、「国葬は葬儀ではありません。」という短いコメントをいただいた。「国葬」の「葬」は「葬儀…