今年の山小屋HR

一高山岳部が「山小屋ホームルーム」を主催するというので、この2日間、付き添いで山に行っていた。なんとびっくり!今年は20名の一般生徒が参加し、そのうち9人が女子という大盛況だった。 昨日は、大六天で車を降り、歩いて刈田岳に登り、昼食。素晴ら…

山でそば打ちを習う

この3日間は、県総体であった。私は、山岳部のない水産高校で、書道愛好会の副顧問という地位にあるのだが、異動して3年目となる今年も登山競技に役員(女子隊係)としてお招きいただき、参加していた。 仙台や石巻にいると信じられないだろうが、山は3日…

これは熊が可哀想だ

この2日間、前任校の山岳部コーチとして、北泉が岳方面に行っていた。絶滅危惧種・仙台一高山岳部に、今年はなんと3名という空前の大量入部(笑)があり、本物の「新歓山行」として、誰もがハイテンションで山に向った。 歩き始めてすぐに某新入部員がバテ…

久しぶりの山岳部・・・井戸沢小屋・刈田岳へ

週末、本当に久しぶりで、前任・仙台一高の山岳部に付き合って山に行っていた。もともと、一高の山岳部は季節に関係なく山行をしていたのだが、現在たった1名しかいない現役部員Sが危ない冬は山に行かない、と言い出したとかで、冬場が実質お休みになって…

「原登山」の気配・・・芳野満彦氏の死を聞いて

昨日、登山家・芳野満彦氏の訃報が載った。私は、小学校5年生頃に新田次郎の『栄光の岩壁』で、この人のことを知った。父親が「山屋」であったこともあって、自宅の書架には山の本が沢山あった。その中に、芳野氏の『山靴の音』も含まれていた。『栄光の岩…

年をとる哀しさ

この3日間、登山の新人大会(南蔵王)に役員として参加していた。顧問を引退したばかりの昨年は一度もお呼びがかからなかったのに、1年を隔てて、今年は県総体に続き、新人大会までお呼びがかかったというのは、以下のような理由らしい。 まず、今年は、顧…

落ちたらどうしよう?・・・「岩場の教訓」

(9月15日付「第2次月曜プリント」より、加筆訂正して転載) 先週の土曜日は、前にいた学校の部活(山岳部)のコーチとして、二口沢という所に「沢登り」の引率に行っていた。仙台市内の最高気温が32,2℃という、この時期としては珍しい絶好の沢登り…

生きていればこそ、の幸せ

(第2次月曜プリント=宮水バージョンの月曜プリントから補筆して転載) 私は今、書道愛好会の顧問ということになっているが、もともとの専門は登山(山岳部)である。実は、いろいろな事情があって、私は一昨年まで勤めていた仙台市内某高校山岳部のコーチと…

成長の喜び

三連休の中日であった昨日は、例によって一高山岳部付き添いで泉が岳(1172m)に行っていた。天気予報を見ていると、いかにも最悪といったコンディションが予想され、実際、朝起きた時には、石巻でも今冬最高の10cm近い積雪があり、そもそも泉が岳…

井戸沢小屋の寄せ書きを見ながら・・・

この二日間、一高山岳部の諸君2名と山へ行っていた。1月恒例の内容であるが、積雪期の井戸沢小屋を目指し、あわよくば刈田岳に登頂しようというものである。8日は下界でも朝から強い風が吹き、果たして出発地点の澄川スキー場は営業しているのであろうか…

青麻山と秋の里

今日は、一高山岳部に付き添って青麻山(あおそやま 799.9m)に行っていた。ところが、たった二人しかいない部員の片方は、寝坊で欠席というお粗末。まあ、部活だと思わずに、趣味の日曜登山と思えば気にならないのだけど・・・。 青麻山に登るのは、いつ…

美しき硯上山

秋らしい爽やかな晴天に恵まれた、本当に気持ちのいい週末だった。昨日は来客などあったりしたが、今日はフリー。ほとんど雲一つ無い青空を見ながら、ふと思い立って、家族で硯上山(けんじょうさん)に行くことにした。良質な「硯(すずり)」の名産地・雄…

絶滅危惧種「山岳部」

週末、土曜日は一高山岳部の11月山行というのに付き添い、久しぶりで山に行っていた。もともとの計画では栗駒山のはずだったのだが、いざ実施が近づくと、この時期の1500mはなかなかコンディションが厳しくて手強そうだということが、生徒にも現顧問…

海の色と船形山

連日暑い。しょせん石巻なので、東京、大阪は言うに及ばず、仙台と比べてさえ2〜3℃低く、耐えられないほどというのではないのだが、「暑い、暑い」と言いながらぐだぐだしている生徒を見ていると、具合が悪くなってくる。この暑さもいい加減にして欲しいな…

月山

先週末は、久しぶりで一高の山岳部につき合い、月山に行っていた(姥沢→月山→仏生池小屋→8合目→仏生池小屋・泊→月山→姥が岳→湯殿山奥宮→湯殿山ホテル)。大気の状態がいささか不安定で、時折聞こえる雷鳴にびくびくしながらではあったが、いろいろ運にも恵…

静寂も闇も「自然」である

週末は、例によって一高山岳部の諸君と山へ行っていた。今回は3年生の引退山行ということで張り切り、吾妻連峰を東(浄土平)から西(白布温泉)まで縦走するという、週末山行としては豪勢なものであった。 幸い天気は上々。行程のほとんどは雪の上で、やや…

詩人の領域、または、焚き火の魅力について

運動部を持っていない私は、ゴールデンウィークが丸々の休みであった。こういう時に、他の先生方に対して申し訳ないような気持ちになるのは、正しい感覚なのかなぁ? それはともかく、部活がなかったかと言えばそうではない。というのも、「登山歴のある山岳…

神の見えざる手(顧問としての最後の山行)

仙台一高教諭として最後の週末、私は、金土と応援団合宿付き添いで学校に泊り、日〜月は山岳部の引率で安達太良山、という過密にして濃密な4日間を過ごした。 3月末に安達太良山へ行き、卒業生の追い出し、若しくは浪人生活スタートの激励、若しくは大学進…

冬山または困難の向こうにある魅力

週末、土〜日は、例によって部活で山へ行っていた。目指すは冬の井戸沢小屋。天候次第では刈田岳の頂上にも立とう、という計画であった。 天気図を見ながら、晴れはしないまでも、比較的落ち着いた二日間になるのでは?と淡い期待をしたりしていたのであるが…

里山の楽しさと教訓

(11月29日「天声人語」引用) 冒頭にでかでかと掲げるほどのものでもない。二人の碩学の死にちなんでのコラムだが、例によって訃報、というものでもない。ただ私は、「里山」という言葉の歴史をこのコラムで知り、驚いたのである。なんという温かさと静…

天気図は夢の地図

授業も模試もない週末、私は不幸にして(?)山岳部の諸君と山へ行っていた。もっとも、通常の山行ではなく、高体連登山専門部なる団体が主催するリーダー研修会で、テントではなく、少年自然の家という立派な(?)施設泊まりだったのが救いであった。土曜…

槍ヶ岳のビール

8月1〜6日、信州北アルプス、槍ヶ岳へ行った。有名な山ではあるが、私は初めて。私は、人のごちゃごちゃいる所が、あまり好きではないので、山岳雑誌あたりでその盛況を見ては、敢て「敬して遠ざけ」(論語)ていたのである。今年は、山岳部生徒諸君の強…

やること探せない訳ね?

週末、例によって山岳部の諸君と山へ行っていた。水曜日くらいから、天気図を眺めながら、ちょっとヤバイぞ、と思い始め、金曜日には、危機的状況であることがはっきりした。「二つ玉低気圧」の発達・接近という最強の冬型パターンであった。およそ常識ある…

サンドイッチショック

県総体ご苦労様。私は県総体とは関係なく、山岳部の生徒諸君と船形山に行っていた。1年生2名ということで、総体の参加資格がない。私は、大会役員として行く要請を受けていたのであるが、せっかくの授業のない土日に、自分の所の部員を放っておいて、他校…

登山禁止の我が身

週末、山岳部の新人大会に行った。私は、病気療養中の身の上、しかも大会は学校単位の行動ではない(つまり顧問が自分の学校を面倒見るわけではない)。そこで、長年勤めてきた女子隊係の職を泣く泣く返上し、麓の温泉宿で、お金の勘定その他の下界業務に従…

大会でのリタイア

県総体が終わった。私は山の大会に行っていた。山で何を競うのか?とは、実にしばしば聞かれることで、答えは長くなるので今は触れない。登山がスポーツとして認められるためには「試合」が必要だ、という情けないほど貧しい発想で生み出された(と推測され…

オボコンベ

週末の二日間は、久しぶりで山であった。土曜授業が始まったために、我が山岳部は、午後から行ける山探しに四苦八苦している。そして今回目指したのは、川崎町にあるオボコンベという変な名前の、たった595mの山である。今回登った最高峰は711mの桐…

義務と自発性

いかにも「五月晴れ」、気持ちよく晴れ渡った週末であった。我が山岳部は、例によって山へ行っていたのであるが、私は同行しなかった。私が山岳部の山行に同行しなかったのは、少なくとも一高に来てからは初めてである。今年新たに顧問になったK教諭が、今…

大学時代の豊かな時間

週末は、山岳部の諸君と山へ行っていた。仙台西郊の大東岳(1365.8m)である。もともと「新歓山行」として企画したのだが、1年生が一人も入らなかったので(涙)、急遽「新歓」の看板を下ろし、通常の月例山行として実施した。何ともショボイ話である。「何…

大学の出席

週末、天気の悪い中、例によって山岳部の諸君と山へ行っていた。南蔵王である。比較的気温は高かったが、雨が降っていたこともあってか底冷えがし、とても寒かった。宮城県の最高地点・屏風岳(1817m)頂上付近では、先週降った雪が、ほんの少しながら残っ…