2011-01-01から1年間の記事一覧

濃厚なる異文化の香り

(10月5日付第2次月曜プリントより、加筆転載) 9月29日及び30日付『河北新報』から引用(このブログに記事を貼り付けられないので、「要旨」を書いておく) 29日:「運転女性にむち打ち刑」・・・サウジアラビア・ジッダの裁判所が、女性の運転の解…

アンネのバラ

一週間前に、近所に住むK先生から、鉢植えのバラをいただいた。我が家のダイニングルームに置いておいたところ、すぐに花が開いた。上品なオレンジ色の美しいバラである。3日ほど、家族の目を楽しませてくれたが、早くもすっかり枯れてしまった。 このバラ…

大須中学校または冠水の話

私の公式名刺には、所属部署として「企画情報部」と書いてある。「一体これは何ですか?」とよく聞かれる。これは、もともと「企画部」と「情報部」に分かれており、前者は中学生への入学勧誘を中心とする情報宣伝活動、後者は校内の情報処理を担当する部署…

名古屋めし

名古屋に行くと、決まって誰かと飲みに行ったり食べに行ったりすることになる。今回もそうだったのだが、すると必ず、「何が食べたいか?」と同時に、「仙台や石巻で美味いものとは何か?」という質問を受ける。う〜ん、これは難問。たいした物が思い浮かば…

名古屋の休日・・・JR飯田線に乗る

(9月27日付「第2次月曜プリント」より加筆修正して転載) 台風一過の23、24日は、また名古屋に行っていた。某高校の文化祭にお呼びがかかったためである。文化祭は23日だけだったが、せっかくの3連休にとんぼ返りはもったいないので、家族に許可…

イランの運転手・・・複線的社会を考えるために

複線的な社会ということを考える時、私の心に浮かんでくる一つの情景がある。それは、かつてイランを旅行していた時に繰り返し見たものである。私がイランを旅行したのは、1983年11月13日から12月12日までのことで、ずいぶん昔の話なのだが、考…

複線的な社会を!・・・林竹二『教育亡国』をめぐって(4)

昨日まで見てきたことで、私が林と一致するのは、戦後教育(教育行政)をどう評価するかという点だけであった。実は、もう一つある。それは、1971年に東京の麹町中学校であった内申書事件における学校側の対応についての林のコメントと、林自身が宮城教…

人間の質と平等・・・林竹二『教育亡国』をめぐって(3)

憲法第26条に、「第1項:すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。第2項:すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負う。義務教育はこれを無償と…

林の教育実践について・・・林竹二『教育亡国』をめぐって(2)

林は、自分の思い描く教育のあるべき姿を訴えるために、自分の授業実践を何度か持ち出す。そして、予習を前提とせず、その場で子供に問題を突きつけて、裸でその問題に取り組むことを要求すると、全ての子供が本当に喜んで学習し、いわゆる「学力」の差は消…

戦後教育の転換点・・・林竹二『教育亡国』をめぐって(1)

ちょうど1週間前のこと、「これ読んでみて」と言って、元小学校教諭である義母から1冊の本を手渡された。見れば、いささか古ぼけた林竹二の『教育亡国』(筑摩書房、1983年)という本であった。義母が何を思ったかは知らない。ごく軽い気持ちで、なん…

被災地であるよりも過疎地

昨日は、久しぶりで愛知ボラセンの活動に顔を出した。ボラセンは7月末以来、活動の拠点を渡波小学校から旧牡鹿町の十八鳴浜(くぐなりはま)に移してしまった。我が家から渡波小学校は車で15分だが、十八鳴浜は1時間だ。人の出入りが激しく、中途半端に…

震災が些事とは言っていられない・・・県への要請行動報告

昨日は学校を早退すると、まず門脇小学校に授業参観に行き、終わった瞬間に学校を飛びだして県庁に行った。高教組(宮城県高等学校障害児学校教職員組合)がお膳立てをした、「東日本大震災に対する教育活動についての要請」というのに出席するためである。 …

落ちたらどうしよう?・・・「岩場の教訓」

(9月15日付「第2次月曜プリント」より、加筆訂正して転載) 先週の土曜日は、前にいた学校の部活(山岳部)のコーチとして、二口沢という所に「沢登り」の引率に行っていた。仙台市内の最高気温が32,2℃という、この時期としては珍しい絶好の沢登り…

女川のサンマ

昨日の『石巻かほく』に、女川でサンマの初水揚げがあったという記事を見つけて、驚くと共になんとも明るい気分になった。そうしたところ、夜、遠い親戚のUさんから、大量のサンマが届いた。なんと女川の初物である。大きさ不揃いなところが、いかにも港か…

これは何のための記事だろう?

震災後半年を目前に控えた9月8日、『河北新報』は、石巻市立大川小学校のことを大々的に取り上げていた。大川小学校とは、今更説明するまでもないだろうが、全校生徒108人中74人が津波で死んだという、今回の震災を代表する悲劇の舞台である。第1面…

自己責任で住む・・・震災後半年の思い(2)

昨日に続き、震災後半年を経て、心の中でわだかまっている「なんだか変だぞ」ということについて書いておこう。 9月11日付『石巻かほく』によると、石巻市ではまだ1500人が避難所で暮らしている。9月1日現在で、仮設住宅は完成率83.8%、入居率…

震災は些事である・・・震災後半年の思い(1)

今日は、震災半年記念日(?)であった。朝から、テレビのニュースは震災一色と言ってよいほどだし、日和山に行けば、一体何のお祭りかと思うような騒ぎである。震災1周年ならまだしも、1ヶ月毎に「記念日」があり、半年目にしてこの騒ぎ。一体「1周年」…

手作り冊子の魅力・・・アナログ礼賛(2)

前任校の応援団幹部OBであるT君から、手作りの冊子が二冊届いた。松本の旧制高等学校記念館謹製・全国旧制高校の校章入りという格調高い便箋3枚に、ぎっしりと手書き文字の書かれた手紙が同封されていた。便箋にも文字にもT君の熱い思いを感じる。あり…

今年の錨章祭はE1のためにある・・・E1劇場を全国区に!!

(9月8日付第2次月曜プリントより加筆訂正して転載) 9月を昔は「長月」と言った。なぜこのように言うかははっきりしないが、夜が日に日に長くなる季節なので「夜長月」、秋の長雨の季節なので「長雨月」、これらがつまって「長月」となったという説が有…

ロートルの子育て

昨日は、夕方から前任校・某クラスの同級会なるものが行われることになっていたので、少し家を早く出て、大学時代の同級生T君の家を訪ねた。以前から、一度家族交流をしようなどと言っていたのである。 T君は、浪人して大学に入っているので、私よりも1歳…

欲しい「人材」はどこでも欲しい

今年度は担任をしているということもあって、結局、週に1度は「学級通信もどき」を出すようになってしまった。ただし、日曜日の夜が落ち着かないのは嫌なので、既に「第2次月曜プリント」と称して、この場に転載はしてきたものの、実際には木曜日に出すこ…

平凡極まりない週末の話

昨日は、娘の通う門脇小学校の運動会。夏休み明けわずか1週間で、しかも同居先の門脇中学校と合同、という変則形だ。しかし、震災で生徒が激減したこともあり、なんだか町内会の運動会のような手頃な規模で和気あいあい、いい運動会だったと思う。私として…

これは恐いことかも知れない!

何ヶ月か前に聞いた話である。とても重要な問題に思われたので、この場で紹介しておこうと思いつつ、なぜか「うっかり」を繰り返し、今になってしまった。 水産高校(図書視聴覚部)では、毎年、この学校に関係のある新聞・雑誌記事を集め、最後に製本してい…

海での実習が始まる!

水産高校は、22日(月)に授業が始まってしまった。 (7月22日付第2次月曜プリントより抜粋) 夏休み中、少し時間のある時には、図書室で自分なりの勉強をしていた。生徒が来ることはほとんどなかったが、時々、3年生の某君が、就職試験に備えて黙々…

バロックトランペット

「夏休み来客シリーズ」の何人目だったか、8月4日に、かつて同じ合唱団で歌っていたU君が来た。埼玉県から石巻にボランティアとして来て、せっかくだから、と寄ってくれたのである。会うのは25年ぶりに近いと思う。 もともとが音楽関係の友人なので、家…

仏事三題

この三日間に、仏様と関わり合うことが三回あった。 一昨日は、元宮水生S君の葬儀・告別式に出た。S君は、今回の震災で犠牲になったのだが、生きていれば現在2年生として元気に学校に通っていたはずである。S君の家は、S君のお母さんと弟(小学生)も亡…

ツーリング学生の減少または海外旅行史

(昨日の続き?)Nさんとは山で知り合った関係だし、Nさんも東北の山に登りたいというので、栗駒山に案内した。不運にも天候が悪く、何も見えないガスの中を須川→栗駒山→秣岳と歩いただけで終わってしまった。 夜、須川温泉の自炊部屋でいろいろな話をして…

昆布漁の思い出

「夏休み来客シリーズ」の最後に、この4日間、北海道からNさんが来ていた。10年以上前、北海道は大雪山・旭岳裏のキャンプサイトで隣同士にテントを張ったことがある、ただそれだけの関係だが、来石は4年前に続き2回目。人間関係の不思議というもので…

5ヶ月目の風景

メチャクチャに暑い。そして、夏休みだというのに、メチャクチャに忙しい。いや、「夏休みだから」と言うべきかも知れない。仕事が忙しいわけでは、必ずしもないのである。いつになく人の出入りは激しいし(=これは歓迎すべき優先事項)、日頃なかなか出来…

北上川の退屈・・・体と心

人間の体と心がどのように関係するか、それらはどの程度独立していて、どの程度一体なのか、という議論は珍しくも何ともない。文明論においては、現代という時代が、過去に比べると体と心を分離しがちであることを批判する。 さて、夏休みに入り、学期の途中…