2013-01-01から1年間の記事一覧

会議で意見を述べるということ

今日、ちょっとした職員会議があった。私を含めた何人かが発言をしたが、その中に、珍しく(本当に珍しく!)二人の若い先生が含まれていた。会議の終了後、私が一歩遅れて職員室に戻ると、その若い教員を、M先生が盛んに褒めている最中であった。発言の内…

100年前と同じ、というだけ・・・日展問題

「芸術界に瀰漫する卑屈な事大主義や、けち臭い派閥主義にうんざりした。芸術界の関心事はただ栄誉と金権の事とばかりで、芸術そのものを馬鹿正直に考えている者は、むしろ下積みの者の中にたまに居るに過ぎないように見えた。日本芸術の代表者のような顔を…

我が家の風景・・・復興祈念公園や歩道について

6月以来、我が家から見える風景について書いていなかった。久しぶりに、直接見えない部分も多少含めて、石巻の風景を書いておこう。 我が家から見えていた二大建築物のひとつ、石巻文化センターが、ついに9月の上旬に消えた。これで、7月に消えた市立病院…

励まされたのは「DeNA」?

(11月8日付け学級通信より) 楽しみにしていた日本シリーズも終わってしまった。地元・楽天が優勝できて、まずはよかった。感想は二つ。 一つ目。第6戦で田中が負けた時、私も、もうダメだ、と思った。この日勝って日本シリーズ終了、という思いは、誰…

五浦海岸の岡倉天心遺構

移動の最中、久々に天心関係の本でも読んでみようと思い、我が書架から選んだのは(というほど天心に関する本がたくさんあるわけではないけれど・・・)、先日、酒席で話題になりながら、記憶が曖昧で相槌すら打てなかった松本清張の『岡倉天心 その内なる敵』…

空気を運ぶ鉄道とバス・・・JR北海道再考

3連休、1日は家庭のために、1日は自分のために、1日は仕事のために使った。天気にも恵まれ、いい休日だったと思う。 自分のために1日を使えた昨日、前夜、田中が負けたのを見届けた瞬間に、何の脈絡もなくふと思い立って北茨城へ行くことにした。北茨城…

二刀流の「打撃の神様」

(11月1日付け学級通信より) 今日から11月。古称で「霜月」と言う。もちろん、霜の降りる月という意味だ。この石巻でさえ、まだ決して寒くなったとは言えないけれど、間もなくそういう季節がやってくる。我が家の桜も、葉っぱが少し色づき始めた。 と…

映画『天心』と岡倉天心

昨日は、ある人から誘ってもらい、松村克弥という映画監督と、石巻市内で酒を呑んでいた。数名のごく小さな会である。何でも、最近『天心』という映画(出演は竹中直人、中村獅童ほか)が完成し、11月半ばから一般公開が始まるということで、人の縁もあり…

国民教材(?)『山月記』・・・その5

『「山月記」はなぜ国民教材となったのか』の著者によれば、『山月記』が「国民教材」と認識され、そう呼ばれるようになったのは1990年頃からである。それに先立ち、1975年に高校進学率が90%を超え、大衆教育社会が形成される中で、教育の形式的…

国民教材(?)『山月記』・・・その4

一つの文学作品を考える上で、表現と内容という二つの側面があることを意識することは必要だろう。私たちは、往々にして「内容」だけを意識しがちだが、同じ事が書いてあっても、「表現(書き方)」によって受ける印象は大きく異なる。 『山月記』の表現で最…

国民教材(?)『山月記』・・・その3

授業で『山月記』を扱う場合、読解のポイントとして最も重要視されてきた箇所として、『「山月記」はなぜ国民教材となったか』の著者は、李徴が旧詩の朗読を終えた場面で、それらの作品について袁傪が「このままでは、第一流の作品となるのには、どこか非常…

国民教材(?)『山月記』・・・その2

『「山月記」はなぜ国民教材となったか』の中で、著者(佐野幹)が、特に多くのページを割いて取り上げている授業実践が二つある。一つは増淵恒吉の「課題学習」であり、もう一つは分銅惇作の授業である。前者は、1950年代半ば、後者は、1960年代後…

同窓会に対する複雑な思い

(10月24日付け学級通信より) 先日、私が卒業した高校の同窓会から、「同窓会報」なるものが届いた。毎年この時期になると必ず届く。しかしながら、実は、大変申し訳ないことに、私は同窓会費というものを払ったことがない。お金をケチっているわけでは…

国民教材(?)『山月記』・・・その1

今、3年生の「選択現代文」という時間に、中島敦の『山月記』を読んでいる。『羅生門』『こころ』『舞姫』とともに、高等学校の「定番四教材」といった趣だ。 そんな折、佐野幹『「山月記」はなぜ国民教材となったか』(大修館書店、2013年)という本を…

ヨバンナ・ブロズ氏の小さな訃報

今日、『毎日新聞』の国際面に、小さな小さな訃報を見つけた。一般紙の中で載せたのは、多分『毎日』だけだった。ヨバンナ・ブロズ氏のものである。私の知らない名前だったが、括弧書きで「旧ユーゴスラビアの故チトー大統領の妻」とあったので、目に止まっ…

光太郎と智恵子(3)

昨日、『「高村光太郎」という生き方』における痛恨の一節について書いた。確かに、その部分のおかげで、私は自著を見たくもないのだが、それ以外の部分については、智恵子と光太郎の関係も含めてあまり間違ったことは書いていない。 私は、智恵子の死の場面…

光太郎と智恵子(2)

10月15日に書いたとおり、拙著『「高村光太郎」という生き方』は、初版を売り切ったところで品切れとなり、再版されていない。今、出版社から再版の申し出があったらどうするか?改訂を条件でなければ、私は首を縦に振ることはできない。本の成り立ちに…

仙台フィル第277回定期と諏訪部百合さんの訃報

昨晩は、仙台フィルの第277回定期演奏会に行った。曲は、ドヴォルザークの「スターバト・マーテル(悲しみの聖母)」である。オーケストラこそ仙台フィルだが、指揮はレオシュ・スワロフスキー、合唱はスロヴァキア・フィルハーモニー合唱団、4人の独唱…

「傷痍軍人」の記憶

(10月18日付け学級通信より) 台風で休校だった一昨日、私は学校で黙々と仕事をしていた。鉄筋コンクリートの建物の内にいると、風も雨もほとんど気にならなかったのだが、伊豆大島はもとより、この石巻でも意外に大きな被害があったらしい。これだけ大…

光太郎と智恵子(1)

一昨日、Eテレの『日曜美術館』に触れて、久しぶりに高村光太郎について書いた。その際、光太郎と智恵子との関係について補足すると書いたので、少しだけ書いておこうと思う。 吉本隆明の高村光太郎論は、書かれてから既に50年前後経っているとは言え、い…

迎合する精神・・・携帯禍

最高のタイミングで台風が来てくれた。少なくとも石巻地区に関して言えば、進路予想、到達時刻予想、規模といった条件がぴったりかみ合って、昨日のうちにJRの運休や休校が決まり、「学校できたのに・・・」と言わなくても済み、なおかつ大きな被害なんて出そ…

日曜美術館「彫刻家・高村光太郎」

日曜日の夜、Eテレ『日曜美術館』という番組で「彫刻家・高村光太郎」を特集するというので、録画しておいて昨晩見た。先週だったかの再放送である。私は以前、光太郎についてかなり集中的に調べ、考えたことがあって、その結果は一書(『「高村光太郎」とい…

硯上山の避難小屋

10月に入ってからの異様な蒸し暑さも一段落し、素晴らしい秋晴れの今日、我が家は珍しく全員が揃って特別な用事もないという1日であった。二階のベランダに布団を干すと、「山へ行くぞ」と掛け声をかけて、硯上山(けんじょうさん、520m)を目指した…

明文化されないルールもある

(10月10日付け学級通信より) 今日は昔の「体育の日」。1964年の東京オリンピックの開会式が行われた日で、晴れの特異日(統計上、晴れる確率が非常に高い日)だ。この2〜3日、10月になったのに本当に蒸し暑い。一昨日、丸森では30度を超えた…

「文字」のミステリー(2)・・・そして「学校」

9月1日付けの『毎日新聞』日曜版(「日曜クラブ」)に、「読書は脳機能を活性化する」という記事があった。執筆者は某医大教授である。それによれば、大脳皮質の左側、真ん中より少し後の所に、文字の理解を司る部分があるらしい。言語中枢の存在は以前か…

鬼首と須金岳

3日間、山へ行っていた。例によって、登山の新人大会というのにお呼びがかかったのである。場所は、大会での使用が初めてとなる鬼首(おにこうべ)である。高体連登山専門部の新人大会は、従来、栗駒山、大東岳、南蔵王の3コースをローテーションしていた…

「文字」のミステリー

先週、期末考査期間中の午後、発達障害についての校内研修会が行われた。最近の多忙な学校の中で、遂に考査期間中にまで研修の予定が組まれるようになったことは腹立たしいが、内容自体はなかなかよかった。講師は、近所の支援学校校長。 最近は、学校の教員…

「アーク・ノヴァ松島2013」とドゥダメル

先週金曜日の夜、「ルツェルン・フェスティバル アーク・ノヴァ松島2013」というイベントに行った。その名も高きルツェルン音楽祭のメンバーが、被災地・松島で出張公演を行うという触れ込みのイベントである。中心人物とされたのは、元ベルリンフィル音…

「推定無罪の原則」はどこへ?

昨日の新聞(私が気付いたのは『河北新報』)に、仙台市内の某公立中学校長(58歳)が女性の下半身を触って逮捕された、という記事が結構大きく載った。本人は容疑を否認している、という。続いて今日は、仙台地方検察庁が、理由を明らかにしないまま、そ…

日中民間交流の「生き字引」

(9月30日付け学級通信より) めっきり秋らしくなってきた。郊外に出ると、稲刈りが始まった田園風景が、これこそが「日本」と思わせてくれるような風情を漂わせている。果物も豊かになったし、いい季節だな、と思う。 ところで、もはや1週間も前の話と…